先週末の北方への旅行について書きます。
まず弘前を目指して新宿から夜行バスで北上。
普通に弘前まで直行すればいいのだけど魔がさして、
せっかくだから三陸鉄道に乗ってみたいとか思ってしまい、
盛岡から路線バスとローカル電車に切り替えて沿岸部に迂回した結果、
朝5時台に盛岡に着いたのに弘前着は夜6時を回っていた。
でも、おかげで途中の久慈や八戸でうろうろできたので楽しかった。
巨大な瓜、生蛸、烏賊徳利、地酒、帆立など・・・。
弘前では7時半開演の芝居を見るのが目的だったので、
6時過ぎに駅に着いてわき目もふらず宿に直行し荷物を置き、
引き続きわき目もふらず会場に直行した。
「新感覚バルデラマ」という題の芝居を見た。
(うわー大人向けの出しものだわー)というのが大印象。
単に下ネタが、というだけではなく、全体の塊として。
盛り込まれてるものが多くて思ってたよりディープだったが面白く観た。
宿は石場旅館という、古い木造の和風旅館。
乱暴に腰を下ろすと、建物全体にみしっと振動が伝わる。
私の実家の以前の建物も古い木造で、子供の頃家の中で走ると家全体が揺れた。
そして子供嫌いだった祖父に祖母経由で、または直接、怒鳴られた。思い出す。
この宿、海外からの旅行者の利用が多いみたい。
掃除が行き届いていて気持ちよく泊まれた。
翌朝、宿坊に予約の電話を入れて恐山に向かう。
宿坊はとてもきれいで部屋も大浴場も広く、ヘタなホテルより快適。
食事は精進料理だが、品数も旅館並みで丁寧に作られていて、
ごはんもおかわり自由だし、全然物足りなさはない。
ただ、一番最後の人が食べ終わってから一斉にごちそうさまをする方式なので、
だいたい「一番最後の人」になりがちな自分にはプレッシャーで、
しかも10人ほどの宿泊者のうち女性は私ともう一人だけだったので
男の食事スピードに遅れを取らぬよう全力で食べなきゃならない緊張感がやや辛かった。
宿坊だから酒類は全面禁止だろうと思って持ってこなかったのだが、
皆での食事中は禁止だけど部屋では自由と知り、衝撃を受けた。
そして携帯も微弱につながるかほぼ圏外。
ノンアルコールで誰ともつながらない夜。
夕食後、外に散策に出た。
お寺の門は6時で閉めてしまうので、一般の参拝客は誰もいない。
夜闇に覆われつつある無人の境内を歩き、境内にある外湯をふらっとハシゴする。
このように誰もいない夜の境内を満喫できたのが、宿泊して一番良かったこと。
もっと湖のほうまで歩きたかったが、完全に暗くなったら間違いなく迷うと思い、抑制。
部屋で手帳に旅の記録をつけ、太宰治「津軽」(←青森だから持ってきた・・・)を読み、
畳に思いっきり両手足を伸ばして倒れ伏したりした。(←自分の部屋では狭くて出来ない)
豊かな時間だった。酒もネットも楽しいが、割合をもっと減らしてもいい。
翌朝は地蔵堂と本堂で朝の勤行に参加。
地蔵堂で聴いたお経はビートの速さと読経の調子が個人的に好みで、トランスしそうになった。
本堂には亡くなった方の遺影や遺品がたくさん並んでいる。
当たり前だが死んだ人も私と同じ世界に生きていたことがあったのであり、
そう思うと、この人たちがもし亡霊的に現れても何も怖いことはない気がした。
朝食後恐山を離脱し、青森駅で人と合流して帰りは新幹線でしゅっと帰京したのだが、
この後翌日くらいまで目がじわじわと痛み、視界もうっすら靄がかかったようになっていた。
恐山温泉の強烈な硫黄によるものらしい。
それでも目は1日程度で治ったが、全衣類、全持ち物に付着した硫黄の臭いは未だ消えず、
重曹液での脱臭と洗濯のループから抜け出せずにいる。
いわゆる硫黄臭から変化して、酢のような匂い・・・写真の暗室の匂いがする。今現在も。