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There is no big difference each day,but exactly the same day never comes again.
There is no big difference each person,but there is no one who is exactly the same.
Each presence has a little different atmosphere.
The world is made up of a fragile gathering of slightly different small existances.
I express that by my work,which consists of connecting many small parts of clay.
After firing,clay becomes hard,and cannot go back as a substance.
That makes me feel strength,persuasive,and beauty.

 

毎日は大きくは変わらないが、全く同じ日は二度と来ない。
人も、大きくは変わらないが、全く同じ人は二人といない。
その場、そのとき、その存在ごとに少しずつ異なる雰囲気がある。
その少しずつ異なる小さなもののぎりぎりの連なりで、世界が出来ている。
それを陶で表現したい。
焼くと土は固く締まり、物質として引き返し不能になる。
そのことに私は力強さと説得力、美しさを感じる。

 


 

雰囲気、は、「世界の味」

食べ物には必ず何らかの「味」がある。
そして同じ味でも、人によって口に合う・合わないがある。
また、同じ一人の人間でも体調などによって(いつもより濃い味に感じる)(いつもは好きだけど今は無理)となったりすることがある。

ところで、生きているといろんなことを感じる。
何もしないで口を半開きにしているようなときでさえも何かしらを感じている。
そういう、とくにこれといった刺激もない時間ですら感じてしまう何かとはなんなのだろうと考えたとき、
「雰囲気」だ、「雰囲気」を感じているのだ、そして、雰囲気というのは世界の「味」なのだ、と思った。
食べ物の味は感知元が舌なので、食べなければ味わうことはないけれど、
雰囲気という名の「世界の味」は感知元が心なので、生きている限り否応なく味わい続けることになる。
この、ある意味世界を世界足らしめている「雰囲気」を、私が感知した「味」を、形にして目で見たい、と思って制作している。

なぜ他の表現手段や素材ではなくて陶芸なのか、というのは、好みだったから…というのが最も正直なところで、
異なる種類や状態の土を組み合わせたり、乾燥や焼成のタイミングを変えたりすることで、
色や質感が変わったりコントラストが生まれたり亀裂が入ったりして表れる表情が、私にとっては単純に美しい。
加えて最近は、地球の一部である土に熱を加えて変質させ、物質として引き返し不能にする…ということが、
私の表現したい「雰囲気」という確たるつかみどころのないものに、
これでもかと説得力ある実体を与えている感じがして(証拠物件を眼前に叩きつける的な)、自分内で面白がっている。
あと、扱いを誤ると割れる緊張感も含めて、魅力を感じる。